厚労省人生会議の啓発ポスター掲載中止に思うこと

こんにちは。
May's + 海野です。

先日、厚生労働省が「人生会議」啓発のために制作・公開したポスターについて、患者団体等から患者や遺族を傷つける内容であるという意見を受けて公開を中止したという話題が報道されました。

今日は、このことについて私が個人的に感じ、思うことを書いていきたいと思います。
そして、皆さんそれぞれにご自身はどう思うか?どうしたいのか?ということを考えるきっかけとしていただきたいと思います。

 

『人生会議』とはそもそも何なのか?

 

人生会議について厚生労働省は次のように伝えています。

もしものときのために、あなたが望む医療やケアについて、前もって考え、繰り返し話し合い、共有する取組を 「 人生会議(ACP:アドバンス・ケア・プランニング)」 と呼びます。 あなたの心身の状態に応じて、かかりつけ医等からあなたや家族等へ適切な情報の提供と説明がなされることが重要です。
このような取組は、個人の主体的な行いによって考え、進めるものです。 知りたくない、考えたくない方への十分な配慮が必要です。
(厚生労働省:人生会議(ACP)普及・啓発リーフレットより)

厚生労働省 人生会議についてのウェブサイト
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_02783.html

 

要するに、ご自身が受ける医療やケアへの希望をご家族やかかりつけの医師等にきちんと伝え、共有する取り組みをしていきましょう、ということです。

また、ご自身の身体や気持ちの変化に応じて、繰り返し話をしていくことが大切だということが人生会議の趣旨であると解釈しています。

このこと自体、私は何も問題は感じませんし、むしろ共感できます。
では、何が問題となり患者団体の方々から批判が発せられたのでしょうか?

 

それぞれの立場・経験での受取り方の違い

 

今回問題となった啓発ポスターですが、問題はその表現の方法だったように思います。

実際のポスターは掲載中止となっていますのでこのブログに掲載することはできませんが、かなりのインパクトがあったことは確かです。

芸人さんである、小籔千豊さんが患者に扮して「命の危機が迫った時、想いは正しく伝わらない」というキャッチコピー、心電図を模写した画像と共に人生会議の大切さを訴えています。

批判の中心となったのは、小藪さんの表情と心電図を思わせる画像だったように思います。
また、芸人さんを起用したことによって、人生への大切なテーマを茶化しているようにも受け取られてしまったのかもしれません。

・治療に苦慮する患者さんや残された時間がそう長くないと感じている患者さんの気持ちを考えましたか?
・もっと患者と話をすれば良かったと深い悲しみにあるご遺族のお気持ちを考えましたか?

というのが、患者団体からのご意見です。

確かに、そのような配慮は必要だったかもしれません。

 

私は10年以上前になりますが、義父をがんで亡くしました。
最初の胃全摘手術から3年ほどで複数箇所への転移が判明し、最後は痛みがひどくモルヒネを常注しましたので、幻覚や妄想も出現し家族は対応に困惑したことを覚えています。

最後の数日は意識もなくなり会話することもできませんでした。

 

そして、今年亡くなった母の場合も最後の1年ほどは認知症による治療の影響か、会話することも声を発することもなくなってしまい、本人の希望を聞くことはできませんでした。


どちらの時も、この判断で本当に良かったのかな…というのは亡くなった後も思い続けました。
ですが、今回このポスターを見て気分を害するということはなく、私自身の経験を振り返ったり今の仕事を考えた時に、改めてまわりの方に自分の希望や願いを伝え、共有していくことの大切さを感じました。

 

あなたはどう思いますか?どうしますか?

 

今回の一連の騒動、あなたはどう感じたでしょうか?

ポスターに関して言えば、広報という視点で考えるとインパクトは確かに重要です。
私自身も、ものすごいインパクトを受けましたから。

ただ、手法は少し行き過ぎた感はあったかもしれませんね。
内容自体はとても大切なことを伝えているのに表現方法でお蔵入りになってしまったのは残念に思います。

起用された小藪さんご自身もお母様が50代で他界されていて、コメントでも「こんなに身近にいた人ともう二度と話せなくなるのか、とやるせない気持ちになった」とおっしゃっていました。

 

注視すべきは、その表現方法ではなく内容だと思います。
それぞれの立場や経験で、批判的なご意見が出るのは仕方のないことかもしれませんが、その内容までが世間的に興味本位で見られてしまうのは、如何なものかと感じます。

 

人は生まれてきた以上、誰でも最後の時を迎えます。
これは動かしようのない事実です。

その時に、自分がどうありたいか…ぜひ考えていただければと思います。

 

今回の騒動、「ひどいよね…」「ふざけすぎだよね…」で終わりますか?
あなたはどう感じて、どう行動していきますか?