親の人生の幕引きに思うこと…
こんにちは。
May's + 海野です。
前回の記事で相続について
何回かに分けてお伝えしますと
予告いたしましたが…。
実は、去る9月26日に
母が旅立ちました。
旅立ちの時から
最後のお見送りまでの間、
これまでの母との出来事が
良い思い出として蘇りました。
それと同時に、最後の時の
母の願いや希望などを
聞いておくことができず、
後悔もありました。
そこで、今回の記事は
予定を変更して、
親の人生の終幕に立会い
感じたことなどを
お話していこうと思います。
かなりリアルなお話になりますので
最初にご理解いただいた上で
読み進めていただけたら、と思います。
あらゆる判断は家族に託される
最後の日から遡ること、3日前。
お世話になっている施設から
前日から状態が不安定なため
救急搬送します、という連絡があり
病院に向かいました。
その時点で、心臓の機能も弱っており
急変の可能性もあることを
医師から告げられていましたが、
これまでも、そう言われながら
何度も持ち直していましたので
今回もきっとそうだろう、と
姉と二人話していました。
…が、そのわずか3日後の朝、
急変の連絡がありました。
既に心停止しているとのこと。
その時に、医師からは
心臓マッサージ(蘇生)を
どうするかの確認がありました。
高齢者の場合、あまり効果が
期待できないこと、
蘇生を行うことで、肋骨が折れたり
体への悪い影響があることを理解した上で
判断するように言われました。
連絡を受けた私の判断で
一切の延命、蘇生の処置はしないと
お伝えし、急ぎ母の元に向かいました。
最初の蘇生についての判断から始まり、
この数日間は、遺族に判断を託される
ことが続きました。
病院へのお迎えの手配、
葬儀日程や詳細の取り決め、
当日中の遺影の準備、
親族・知人への連絡・調整、
遺族の挨拶は誰がするのか、
献花を並べる位置や順番、
弔電を読み上げる順番、など…。
よく言われることですが
悲しむ間も無いというのは
本当なんだな、と
身を以て経験しました。
希望や願いを伝えておくことの大切さ
これまで、私は終活アドバイザーとして
エンディングノートで
自分の想いや希望、願いなどを
書き記しておきましょうという
お話を何度もしてきました。
そして、実際に自分自身が
親の最後に立会い、見送るという
経験をし、改めてその重要性を
痛感しました。
一連の出来事の中で
特に困ったことが2つほどあります。
まず、1つ目が『遺影』です。
これは本当に困りました。
亡くなった当日中に準備するように
言われました。
葬儀の打ち合わせ中に
家に戻り、写真を探すのですが
これがなかなか進まない訳です。
ついつい懐かしい思い出に
浸ってしまうんですね…。
遺影として使える写真は
本人の顔が十円玉くらいの
大きさがあれば、引き伸ばしても
それほどボケることはないそうです。
あとは、夜間に撮った写真や
顔部分が影になっているものは
基本、NGなのだそうです。
あらかじめ、遺影として使って欲しい
写真が準備してあったら
ご家族の負担は間違いなく
軽くなりますね。
2つ目は葬儀の規模や
連絡して欲しい人のリストアップ。
母の希望は聞けなかったので
父に確認してみましたが
・そんなに大げさにやるな
・恥ずかしくない式にしてくれ
という、なんとも微妙な希望となりました。
身内だけの家族葬ながらも
担当の方と相談しながら
できるだけ、父の希望に沿うように
進めていきました。
その他にも、細かな部分で
判断に迷うことも多いものです。
限られた時間で、家族が
様々な判断をし、調整を行い、
取り決めていく中で
ご本人の遺志がわかっていることは
とても大切なことです。
あなたご自身の願いや希望を
伝えておくことの大切さを
自らの経験を交えながら
個別の相談やセミナーなどを通じて、
これからも発信していきたいと
思っています。
今回、当事者となった私の経験が
このブログを読んでくださっている方の
参考となりましたら幸いです。
最後までお読みいただき
ありがとうございました!